慶應通信学習記録ー経済学部普通課程69期秋ー

慶應義塾大学経済学部通信課程に69期秋入学しました。(普通課程)

通信での学びは極めて個人的な体験である

3ヶ月も放置したくせにいきなり今日2度めの投稿です。
ていうかむしろ今日はこっちがホントに書きたかったかも。

ここ最近、TLで話題になってる(&話題にしてる)件、ものすごく違和感というか、もっとどストレートに言うと、「舐めてんの?」と思うわけで。

このブログもあれこれと書いてますけど、ボクの経験が何らかのアドバイスになるなんてこれっぽっちも思ってなくて、「どこかの誰かが思い出してくれて参考にしてくれたらそれもまた一興」程度のスタンスで書いてます。

が、どうやら世の中には、「自分の経験が役に立つ!」とかあまつさえ「儲かる!」と思ってる人がいるらしく。
でもって、更にタチの悪いことに「金出してでも情報がほしい!」って考える人もいるらしく。

 

あのねぇ…

あなたがした経験っていうのは、あなたの能力とか環境によってもたらされたものであって、そこに金取れるほどの内容なんて含まれてないっすよ。
もし何らかの内容が含まれているとしたら、「こういうことがありました」程度のモンでしかなくて、その内容の確からしさ保証できんの?って。

でもってこの手の輩に多いのが、慶應通信の難易度をやたらと過剰にアピールすること。いわく、「卒業率は3%!」とか「最短卒業は不可能!」とか「生活のすべてを通信に捧げないといけない!」とか*1

もうそういうのって、↓としか言えないよね。

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ていうか、その話ソースあんの?って。
あなた&あなたの周囲がそうだったってことでしょ?としか言えないでしょうに。
だいたい卒業率が低い!っていう人に聞いたら、「1年度の卒業生をその時点での全在籍者数で割る」とかいう、意味不明な計算してるんだわ。

もっと言うと、あんまり過剰な難しいアピールしてると、そのように感じてない人からは「あんたの努力か能力が足りてないだけでは?」という疑念を招くことが何故わからないんだろうか?*2

通信教育なんてつまるところ、「自分のやりたいことをどのように実現するか?」と、「実現のためにはどのようなリソースが必要で自分にそれが備わっているか?」によって進め方なんて全然違うわけで、卒業率云々なんてアホな数字以外の何ものでもないわけですよ。
てか、「卒業率が高いから止めとく」わけ?だとしたら本末転倒もいいところで。
勉強したいことがあるんでしょ?慶應卒の肩書欲しいんでしょ?そのへんの動機はひとそれぞれだと思うんだけど、動機が何であれ、自分の目的があるんならそこに向かって実現の道筋つけるだけなんじゃないの?って。

なんかねー。「慶應通信は難しい!=卒業した自分は優秀!」って言いたいだけなんじゃないかって。
そういうのすっげー恥ずかしいと思わないのかしら。優秀かどうかなんて結果でもって周りが評価してくれるもんでしかねぇっての。

 

あと、レポートをお金で売り買いしたり、慶友会やらネットで楽単情報探してるやつも本質的には同類ね。
お前の目的は何だ?って。

そういう輩も「慶應卒!」って言いたいだけちゃうんかと。

そういうのって他人から秒で見透かされるってなんで分かんないかね*3

 

なんかこう、慶應っていうワードがこの辺惑わしてるのかもと思うと、少し暗澹たる気分にもなってくるわけで。

ま、通信に限った話ではないとは思うんだけども、学問で自分を高めようとするんなら、その営みは徹底的に個人的なものであって、誰かの力に頼ることがメインになったり、自分の経験を切り売りしてるようなことしてたら、そういうのはあっさり見透かされますよって。

F1見ながらおベロンチョなので全然まとまってないまま書いてます。

フェルスタッペン…

*1:一部慶友会もやるよね。こういうの。

*2:もしかすると因果が逆のような気がしないでもない

*3:ここでも因果は逆かもしんない