慶應通信学習記録ー経済学部普通課程69期秋ー

慶應義塾大学経済学部通信課程に69期秋入学しました。(普通課程)

慶應通信の勉強の仕方の参考になれば幸い

こんばんは。

久しぶりのブログ更新です。ええ、サボってましたとも。

てか、色々と忙しく手ですね。自分の身辺に色々と変化があったり、新年度だったりなんだったりラジバンダリ。

そういうわけで卒論も亀のごとく進めております。数行書いては消し、また色々といじくり。5月に本当に提出許可もらえるところまで行くんでしょうか?

さてそんな中、慶應通信でも73期春入学生の方が続々と誕生しておられるようで、おめでたい限りです。
というわけで、毎年恒例(?)の、上から目線で学習方法なんかについて語る記事なんかもアップしてみようじゃ無いかと。

あくまでもイチ学生の思い込みが多々混じる内容ですので、「そーゆー考え方もあるのね」くらいでお読みいただけると幸いです。

1. 何が何でも必修科目から。

慶應通信でしっかりと何かを学び取ろうとするのであれば、何が何でも必修科目から先に取り組むべきです。
慶應通信では、英語だったり、統計学だったり、各学部ごとの専門必修科目だったりと、いくつかの必修科目が設定されています。(細かくは塾生ガイドで)
で、この必修科目、他の科目に比べてハードルが高いです。何の苦労もナシに履修完了できる人は相当賢い人かと思われます。
ですから、より簡単(に見える)科目だとか、自分の興味のある科目を優先する人も多数います。
でもね、考えてみてください。ていうか、ぶっちゃけ考えるまでも無いんですが、必修科目は何故必修なんでしょう?
答えは簡単です。「その科目が学問の基礎になるから」です。言い換えれば、「それらの科目の基礎を身につけていないと卒論は書けない」んです。で、卒論が書けないということは、卒業できないんです。
そう考えれば、必修科目を後回しにするなんて、何のメリットも無ければ、そもそもそうして良い理由なんてどこにもありません。
もちろん、配本時期は定められていますから、配本が来るまで着手できない必修科目もあります。それは、「まだその科目に取り組む時ではない」ということの裏返し。そこに至るまでに積むべきトレーニングは多々あるということです。
今後の学生生活で、多くの教員の方からイヤというほど聞かされる言葉があります。
「学問は体系立てて取り組む必要がある」
是非、学問体系を意識して取り組まれれば良いかと思います。

2. 直感や実感は要らない。全ては論理が支配する。

これって特に経済学あるあるだったりするんですが、テキスト等で述べられていることと、実感が全く異なるということが多々あります。
論理が直感や実感に反するということの例として、「誕生日のパラドックス」というものがあります。
これは、「何人集まれば、その中で同じ誕生日の人が2人以上いる確率が50%を超えるか?」という問題です。
例えば、学校のクラスで同じ誕生日のペアがいるかいないか?なんてことを考えたとき、「いない可能性の方が高いんじゃ無い?」と、直感的に思う人も多く居るかもしれません。
ところが、数学的には、「23人」のとき、その中に同じ誕生日のペアが存在する確率は50%を超えます。一昔前の学校の1クラス40人だと89%、最近だと1クラス30人くらいですが、それでも70%の確率で、同じ誕生日のペアが存在するのです。
このように、論理に従って考えていったとき、直感や実感とは全く異なる答えが出るときがあります。そのときは素直に、直感を捨て、論理に従う考え方を身につける必要があります。

3. 抽象化して考える。

これも経済学あるある、でもって、上で述べた内容の続き的なお話です。
経済学やってると、「実際にこんなことあり得ない!」という議論が多数出てきます。特に経済原論とか金融論あたりでは、それこそ最初から最後まで間違ってるんじゃ無いか?と感じるくらい。
じゃあ、経済学が間違ってるか、テキストが古いのかというとそんなことはなく、テキスト等で述べられている議論は正しいです。
では、何故実社会や実体経済とは一致しないように思えるか?というと、キーワードは「抽象化」です。
経済学では「モデル」という概念がよく扱われます。国民所得と利子率の関係をモデル化したIS-LMモデルとか、需要と供給の関係をモデル化したAD-ASモデルとか。
で、このモデルを構築するにあたり、実際の動きをそのままモデル化することは事実上不可能です。
そんなことをしようとすると、最悪、70億人のアタマの中やら地球の気象やらその他この世の有象無象を読み解き、その関係性を定式化することになりかねません。そして当然ながら、そんなことできるわきゃないです。
そこで、モデルには何らかの制約とか仮定が設定されます。例えば、市場に参加する主体は全て自分の利益を追求することだけを考えていたり、税金は常に一定の金額だったり、企業は売りたいだけモノを売ることができたりといった仮定を置きます。
そうやって、実体経済をとことん抽象化していったうえで、どのようなことが起こるか?というのを検討するところから始まっていくのです。
このとき設定される仮定は、ぶっちゃけ非現実的なモノが多いです。売りたくても売れない会社はいくらでもあるし、税金は定額じゃなくて定率だし、そもそも人間は経済的な利益だけを追求して生きているわけでもないですし。
しかし、基礎を理解するためには、非現実的な仮定を置いた上で、原始的な動きを知らねばなりません。その上で、実体に少しでも近づくように仮定を緩めていくのが経済学の営みです。(だと思っています)
このような抽象化の考えに慣れないと、いつまで経っても前に進むことができません。学問の成果は実生活に活かされるべきですが、まずは学問の基礎の考え方に慣れないと、成果は得られないのです。

長々と書いてきましたが、とにもかくにもまずはやってみる!
これが全てです。
そして、もし困ったときに、オッサンの戯言が役に立つようであれば幸いです。
皆さん、頑張りましょう!


ちなみに過去にアップした学習指南(めいた)に触れた記事はこちら↓ 

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