慶應通信学習記録ー経済学部普通課程69期秋ー

慶應義塾大学経済学部通信課程に69期秋入学しました。(普通課程)

【社会学】何で苦手か考えてみる

こんばんは。

 

久々に仕事でwebをいじる(といっても内向けの簡単なもの)ことになったので、CSSの練習がてら、ブログのデザインをいじってみました。

といってもレスポンシブではないので、スマホからご覧の場合は何も変化無いと思います。

 

さて、タイトルのお話。

昨日の記事の中で文系だ理系だ、社会学が合わないなんてお話をしたところ、的確なご指摘いただいたので、もう一度まとめなおし。

 

max0627.hatenablog.com

 

理系とか文系とかっていう例えは多分不適切なんだとして、さて、何で社会学が合わないんだろうと思ったときに、「他人のことがそんなに気にならないんじゃないの?」というご指摘がありました。

これは実は大正解で、実際のところ、他の人がどうであったとしても、自分に何かしらの直接的かつミクロな影響が出てこない限りは、それほど気にもならなくて、良く言えば他人への不干渉主義、悪く言えば無関心なところはあるなぁと。
ゴシップなんかは大好きなんですけど、それは他人がどうこうというより、自分の下世話な好奇心を満たしたいだけな訳で。

こうなってくると、「人びとの形づくる社会生活や集団、社会を研究」(注1)したいという社会学的な欲求が限りなく薄い人間だとも言える訳で、そりゃあ問いは立てらんないっすよ。だって、他人(≈社会)がどうであるか?よりも、自分がどうであるか?の方が大事だし、気になるんだもの。

 

ただ、やっぱり社会の一員として日々暮らしている以上、全く社会の動向が影響ないかというとそうでもなくって、やっぱり社会的な存在であることは否定できないわけですから、関心を持とうとすれば持てるはず。

するとここで、指摘の2つめにあった、「私たち」とか「あなたたち」という塊でものを考えられないときついのかもという話が頭をもたげてくるというか。

 

ここの主語が大きいかどうかで言うと、ボクの結論としては「中途半端」だなぁという印象。

例えば宇宙物理学の命題(と勝手に思ってる)であろう、「宇宙の始まり」とか「物質の起源」とかいうスケールの巨大さでもなければ、経済学なんかがテーマとしている「おカネとモノの不思議」みたいな、それこそ社会的リアリティを追求する訳でもなく。

かといって、哲学みたいに「真理とは」みたいな、どう考えてもそんなもん答え出ないでしょうよというところまで吹っ切れてる訳でもなく、「社会」とか「社会現象」という、妙にリアルなんだけど皆のアタマの中で曖昧に存在しているものを対象としている時点で、立ち位置の中途半端さを最初に感じ取ってしまうのはボクだけでしょうか?

 

てなことを考えてることが、もしかしたら社会学の入り口に立ってるってことなのかもしれないけど、それはそれで、こんな禅問答ズルくね?とも思ってしまう訳で。

 

あ、あと、「社会学」って学問はこっちの食わず嫌いの可能性が大だけれども、特にTVに出てくるような「社会学者」ってのは、確実に大嫌い。

小沢一郎に再婚予定聞いてみたり、オリンピックのPVに女子高生が出てきただけで日本は変態だって言ってみたり。よくそんなしたり顔でそこまでズレたこと言えますねとか思っちゃう。

 

こういう人たちが、社会学のある種の胡散臭さを増幅させてんじゃない?

 

(注1)ギデンズ「社会学 第5版」p.20

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