"そろそろ総合教育科目について語ろうか"(手動リブログ?)その1
こんばんは。
アメブロのリブログ機能を利用して、KBSセンパイの記事についてあれこれと議論が始まりそうな予感ですね。
でもって、SZTセンパイが「maxがいかに可哀想か証明する」との宣言が…(;´Д`)
そういうことなら、ちょっと先回りして自分の思うところを「レポート風」にまとめてみようと思いますw
あくまでブログなんで、やわらかーく書きますが、実は普段提出してるレポートもこんな感じです。
それでは始まり~
序
本レポートは、「慶應義塾大学通信教育課程における普通課程正科生のつらさ」について述べたものである。
慶応義塾大学通信教育課程(以下、慶應通信)は、2016年現在、8,440名の学生が在籍する(注1)、日本最大級の通信制大学である。
慶應通信は、入学の際に、学生の過去の学習歴に応じ、学士取得者を対象とした「学士入学」、一定の単位を取得した大学中退者や、短期大学卒業者を対象とした「特別課程」、高校卒業者を対象とした「普通課程」に課程を分類し、それぞれの課程ごとに履修・卒業要件を課している。
ところで、巷間、「慶應通信の普通課程しんどすぎワロタ」という風説が流布されているが、これは3課程の中で最長の在籍年限を課されていることから、ある程度の信憑性はあるとみなしてよかろう。
ただし、「しんどい=可哀想」の図式が成立するかについては、議論の余地があると筆者は考える。
本レポートでは、「普通課程別にかわいそうでもないし」という主張について、履修の困難さ、コスト、やりがいといった観点から考察してみたい。
本論
1.ロールモデルの定義
慶應通信には多種多様なバックグラウンドを有する学生が集まり、彼らの有する能力や事情も様々である。したがって、いかに学習が困難であるか?についての比較を行う場合、究極的には個人別の比較を行わなければ、精度の高い論を述べることはできない。
しかしながら、筆者には、全学生の状況を知る術もないし、そもそも、そんなことをしているほどヒマでもないのである。というか、こんなブログを書いているヒマがあるなら、試験勉強すべきであって、こんなことをしてる時点で相当のアホである。
この後の議論に当たり、以下の前提条件を設定した上で、論を進めたい。
共通:関東在住。最短卒業できるだけの能力を有し、努力もできてる。経済学部。
学士:経済学部以外の学部を20年くらい前に卒業。大学の勉強の仕方は身についている。
普通:高校卒業。仕事の必要に迫られて、経済の基礎知識くらいの勉強はしている。
2.履修の困難さ
(1)総合教育科目
最も大きな違いとして、「総合教育科目の履修要否の違い」が挙げられる。
そもそも、学士入学者は統計学以外の3分野科目は履修済みとして、36単位が取得済みとされるが、普通入学者はゼロである。
そして、在籍年数は学士が2年半であるのに対し、普通は4年。すなわち、1年半で36単位を取得して初めて、「自分より1年半後に入学してきた学士入学者」と同じ土俵に立つことができるのである。
さらに、総合教育科目には少々複雑な履修用件が課せられている。例を挙げると、「3分野科目は1分野あたりテキストで2科目6単位以上」といったものである。
大学教育にまったく不慣れな普通課程生には、この要件を理解しつつ、履修計画を立てること自体が非常に高いハードルとなる。このハードルが存在しない時点で、学士入学者の心理的なハードルは少々下がるものと推察される。履修計画を立てることが既にしんどいのである。
(2)英語
これもまた、学士と普通では大きな違いがある。まず、学士入学者は、特殊な例を除いて「レポートの提出が免除」されている。つまり、「いきなり試験を受けることが可能」というアドバンテージを有する。実際に英語力があるかないかは関係なく。
さらに、見落とされがちであるが、学士入学者は「英語のスクーリングが必須ではない」という点も大きい。普通課程生は、英語のスクーリングが必須とされており、大学の講義を直接肌で感じることができる貴重なスクーリングの機会のうち、2コマは必ず英語に充てなければならない。
それに対し、学士入学者は「スクは専門に充てて、英語は放送英語で♪」という選択肢を取ることができるのは、実は恵まれているともいえるのである。
無論、「英語こそスクで」という意見があることも否定しないが、学士入学者は英語をスクで取る選択肢も用意されているが、普通課程生は選択の余地がない時点で、履修の制約に違いがあるといえよう。
続きは後ほど…