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慶應通信学習記録ー経済学部普通課程69期秋ー

慶應義塾大学経済学部通信課程に69期秋入学しました。(普通課程)

自分が慶應通信で学ぶ理由

※超長文注意

こんばんは。

今日3回目のブログ更新です。

そうです。アホです。Twitterじゃないんだから。

でも書きますw

 

今日は午後からEスク哲学のレポ作成に向け、復習視聴中。

しかしホント、Eスクってありがたいですね。

 

kcc-channelの拡充や学費の口座引落制度の開始など、大学が通信教育課程に対して、少ないとは絶対に言えない投資を行ってきてくれているこの流れで、Eスクももっと拡充してくれるとうれしいなぁと思ったり。

 

悲しいかな、商売柄、Web申請システムの構築・リニューアルや、顧客サービスとしての口座引落制度の導入、自社サーバでの動画配信システムの構築の全てについて、だいたいどれくらいの金額がかかるか分かってしまうので、なかなか知らん顔して「もっとちょうだい!」とは言えなかったりしますがw

 

ここから本題。

 

今年度の哲学のテーマは、「神の存在論証」。

 文字通り、「神様っているの?てかいるよね?いますし!」というテーマです。

 

このお題に対して取り組んでいくと、必然的に、

「そもそも神とはなんぞや?」

 「存在とはなんぞや?」

という問いが自分の中で生まれてくるわけです。

 

で、この問いを突き詰めていくと、「我思う、故に我あり」が必然的に登場するわけでして。

 

素人の認識としては、デカルトのいう「思う」というのはすなわち、「自分はなぜここにいるのか?」という自己認識というか、レゾンデートルというか、そっち方面のお話なんだと捉えてます。

 

そこでタイミングよく、昨日入学式があり、その後の飲み会で色々と会話したということがあって、そっち方面の影響を受けて

「自分がなぜ慶應通信に入学したのか?」

 「自分はここに何を求めて来たのか?」 

という問いが生まれてきたので、それをちょっと吐き出したいなーと思いまして、3回目のブログ投稿と相成ったわけでございます。

 

では吐き出しまーすw

 

慶應に求めるものその1:自分の目の前にあるビジネステーマに対する理論的裏づけが欲しかった。

 

ITコンサル、それも上流のところにじわじわとシフトしはじめると、どうしても「経営」というお題に挑戦しなくてはいけなくなってきます。

 

システムやらインフラの整備に始まり、ITから離れたところでの業務改善・改革、果ては事業企画や経営企画まで。

 

特に基幹システムのコンサルタントというキャリアパスに乗っかると、この辺の知見が雑談でも求められますし、最終的にはそういった領域の案件の開拓だとかビジネスの創出というところに行きます。

 

これまではシステム導入・運用の現場にいたため、その世界の中で起きたことを、その世界の理屈だとか腕力で解消することで、色々な課題を解決することができました。

 

が、先に書いたような領域に入ってくると、そこにはより「一般的な裏づけ」が必要とされるわけです。その裏づけと、クライアントを取り巻くさまざまな事情、業界特性だったり、企業文化だったり、取引先や社会との関係だったり、社内政治だったりを組み合わせることで、クライアントにとっての最適解を見つけていくことになります。

 

そうなったときに、今の自分には武器が少なすぎる。

 その自覚のもとで、武器となる「一般的な裏づけ」とは何か?を考えたときに、学問のプロセスで課題を検討し、理論として構築することが必要であり、その前提となるこれまでの学問の積み上げが必要と感じたので、大学教育を欲したというしだいです。

 

慶應に求めるものその2:学歴コンプレックスの解消

 

これって、ボクの勝手な思い込みですが、普通課程の人たちには多少の差はあれど、必ずあるもんだと思ってます。

 

自分もこれまで、高校を卒業して少し早く社会に出たこと、同級生が大学生してる間に百戦錬磨の中小企業のオッサン相手に丁々発止してきた(こざるを得なかった)ことなどを、ある種のプライドとして持ってきました。

 大卒ナンボのもんじゃいと。

 

が、やっぱり、日本ではどこまでも大卒>高卒なわけです。

ボクの場合、大学進学は家庭の事情(とにかくすぐに働かないといけない。高校3年間が待てる限界)ということで諦めたんですが、そんなもん社会は知ったこっちゃ無いです。高卒は高卒だと。そこを破るためには、どうしても大卒でなくてはダメなんです。

 

それに加え、その1に書いたような仕事をしようとすると、やっぱり会話のとっかかりが「キミ、どちらの大学?」なんてこともまだまだ多く、そういった切迫した事情として大卒の肩書きを欲しているということもありました。

 

慶應に求めるものその3:「慶應」ブランド

 

これブログに書いたら事務局に怒られるかも…

けど、理由としては悪いことではないと思ってるので書いちゃいます。

 

その1・2に書いたことは、実は「慶應通信」であることの説明にはなりません。

 

名の通った大学でいっても、中央、法政、日大。 

関西でも近大はじめ、通信教育課程を設置してる大学は多数あります。

 

その中でなぜ慶應か?という話になったとき、いくつか理由はあります。 

前の会社の上司が慶應OBで、「Maxさん、慶應の通信受けなよ」と何回も誘ってくれたこと、仕事で絡んだ人の中に存在するOBさんが「慶應ってホントいいとこだよ」って教えてくれたこと。

 

その人たちに「なぜそこまでして慶應を勧めるの?」って聞いたら、答えは全て「慶應だから」だったんですね。明確な何かがあるわけでなく、「慶應慶應であるが故に至高である」と。

 

そういう人たちの輪の中に入りたくなっちゃったんですね。

 

さらにいうと、大企業相手に仕事してると、時として「三田会」のえげつないパワーを垣間見ることがあります。そこではビジネス上の損得勘定の優先順位が下がり、「三田会」であるが故の力が働くこともあったりします。

別に自分の利益を求めるつもりは今更さらさら無いですが、そういうのってやっぱ単純にうらやましいじゃないですか。

 

慶應に求めるものその4:「仲間」

 

これは求めることというより、自分に対する戒めかもしれません。

 

もうね、30半ばも過ぎて大学の通信教育受けようって身ですから、今更ここで「友達」作るつもりなんて、さらさら無いんですよ。

 

更にいうと、普段の仕事でお腹いっぱいの大人の事情とお付き合いしてるので、しょうもない足の引っ張り合いだとか誹謗中傷なんぞあった日にゃあ、ゲロ吐く勢いなわけで。

 

ただ、ともに学びあい、競い合える「仲間」は欲してます。

 

基本的に自堕落な人間なもんですから、誰かにケツたたかれないと動けないんです。

ただ、実際にはそうそうそんなことしてくれる人がいるはずもなく。

そこで、「誰かに見られてる」という意識を自分に植え付けるためにこのブログをはじめました。

 

「実際には誰も見てないだろう」と思ってましたが、意外にもそれなりの人に読んでいただくことができ、何人かの方には実際にお目にかかることもできました。

で、ネット上でのやり取りだったり、実際にお会いしてお話したりした結果、その人たちにはご迷惑かもしれませんが、ボクの定義する「仲間」の人たちでした。

 

「この人たちがいれば、俺頑張れるわ」と思える方との出会いは、とてもありがたく感動的なものでした。

 

他にも、ここでお名前は出せませんが、「仲間」として学びあい、競い合える人たちにたくさん出会えました。

 

もしかすると、自分が今一番求めてるものってこれだったのかなぁと。

 

通信教育は孤独だとよく言われますが、自分が正しくあろうとすれば、自ずから良き「仲間」に出会えるのかもしれません。

 

そうして、その良き「仲間」の方々とは、願わくば一生のお付き合いができればと、勝手ながら思っております。

 

超長文大変失礼しました。

 哲学なんぞに手を出すから、たまにはこんなことも言ってみたくなるんですかね(←哲学者の先生方に失礼

 

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